なぜ人は生まれてきたのか?
この問いに、わたしたちは、「つくる」を楽しむため、と応えます。
世界中を旅して、いろんな宗教、文化、風土で暮らす人々と出会ってきました。
旅のなか、どこにいっても変わらないことが一つだけありました。
それは「つくる」に熱中する人の、楽しそうな横顔。
料理をつくる、椅子をつくる。
音楽をつくる、祭りをつくる。
たとえどんなに些細でも、「つくる」を大切にする人は幸せそうでした。
だから、わたしたちは「なぜ人は生まれてきたのか?」という問いに、
「つくる」を思いっきり楽しむため、と応えたいのです。
我们为什么出生到这世界?
我们回答这个问题时说,我们生来就是为了享受 “创造”。
我们走遍了世界各地,遇到了来自不同宗教、文化和气候的人。
在所有的旅行中,无论走到哪里,都有一件事是不变的。
这就是热衷于 “创造 “的人们的快乐的脸。
创造食物,创造椅子。
创造音乐,创造节日。
无论他们有多穷,热衷于 “创造 “的人看起来都很快乐。
无论多么微不足道,珍惜 “创造 “的人看起来都很幸福。
所以,对于”为什么我们会出生?”这问题, 我们想回答,为了最充分地享受 “创造 “的乐趣。
「つくる」には、いろんな段階があります。
料理や椅子のように、形あるものを造形する段階。
「どんな絵を描こうか」と、形ないものを想像する段階。
満月を見て「不吉だ」と考えたり「恵みだ」と考えたり、出来事の意味をつくりだす段階。
「つくる」にいろんな段階があると知ると、どんなときでも「つくる」を楽しめるようになります。
“创造”有不同的阶段。
有一个阶段是塑造有形的东西,如一盘菜或一把椅子。
对没有形式的东西进行想象的阶段,比如说画什么样的画。
创造事件意义的阶段,如看到满月,认为 “坏运气 “或 “祝福”。
当我们意识到 “创造 “有不同的阶段时,我们可以在任何时候享受 “创造”。
「そんなこと言ったって、つくるって簡単じゃないよ。」
その気持ちも、よくわかります。
わたしたちだって、思い通りにつくれたことはありません。
慎重に造った椅子はガタガタ。
丁寧に縫った服はペラペラ。
あ〜ほんとうに、イヤになる。
けど、それがいい。そう思いませんか?
もし簡単に欲しいものが手に入るなら、
「つくる喜び」は生まれるでしょうか。
簡単にはできない。何度やっても失敗する。
「つくる」って、ほんとうに難しい。
でも、だからこそ、「つくる」って面白い。
”即使你们这么说,但”创造”很不容易呀。“
完全了解这种感觉。
我们也从来没有能够完全按照我们的意愿进行创造。
精心制作的椅子摇摇欲坠。
精心缝制的衣服软软脆弱。
哦,真讨厌。
但这就是为什么 “创造”很好。你不这么认为吗?
如果很容易得到我们想要的东西,
是否有”创造”的快乐?
不容易做到。 无论尝试多少次,都会失败。
“创造”真的很困难。
但是,这就是为什么”创造”是如此有趣。
近代以降、世界を「機械のようなもの」とする見方が広がりました。
世界が機械であれば、正しく操作すれば望む結果が得られるはず。
そんな見方でつくられた社会では、不正確だったり、効率が悪い部品は
「役立たず」や「落ちこぼれ」とされます。
だからこれまでの学校教育は、人間が社会という巨大な機械のなかで
正確に、効率よく働けるよう、訓練することに躍起でした。
その結果、経済は発展し、社会は巨大で安定したものとなりました。
しかし、その一方で、人間はどうなったでしょうか?
自分が食べるもの、着るもの、住む家を、自分の手でつくることができなくなった。
生きるのに欠かせない飲み水すら、お金で買うしかない。
だから社会システムに、ますます依存するしかない。
いまやわたしたちは、人類が当たり前のようにもっていた
「つくる知恵」「つくる喜び」を、手放しつつあるのではないでしょうか。
自近代以来,认为世界 “像一台机器 “的观点蔓延开来。
如果世界是一台机器,那么如果我们正确地操作它,我们应该能够得到我们希望的结果。
在一个建立在这种观点上的社会,不准确或低效的部分是被认为 “无用的 “或 “失败的”。
所以,到目前为止,学校教育一直被设计为使人们能够在社会这台巨大的机器中准确而有效地工作。
因此,经济得到发展,社会变得庞大而稳定。
但在另一方面,人类发生了什么?
人类不再能够用自己的双手生产我们所吃的食物、所穿的衣服和所住的房子。
即使是生存所需的饮用水,也只能用钱买。
所以我们不得不越来越多地依靠社会体系。
如今,我们放弃了人类过去认为理所当然的 “创造”的智慧和快乐。
「機械のような世界」で崇拝された価値基準が、「お金が一番大事」とする資本主義です。
その見方で結果だけを重視していると、「つくる喜び」は失われます。
どんなに大切な営みでも、「お金」にならなければ「失敗」になるし、
経済的な価値を生み出せない人は、「役立たず」として追いやられます。
だけどもし、「お金が一番大事」というこれまでの「見方」を、
「つくる喜びが一番大事」という新しい「見方」に変えたら、どうなるでしょう?
たとえば、「失敗」は「つくる喜び」の欠かせないスパイスになります。
「役立たず」はまだ「つくる力」を活かしきれていないだけの伸びしろになります。
わたしたちが、ただ見方を変えさえすれば、
目の前の世界は、ガラリとその姿を変えるはずです。
在“机器一样的世界“中所崇拜的价值标准是资本主义。它认为“金钱是最重要的东西“。
如果我们从这种观点只关注结果,”创造的快乐 “就会丧失。
无论一项活动有多重要,如果它不能带产生”金钱”,它就会成为 “失败”。
那些不能创建经济价值的人被贬为 “无用 “的地位。
然而,如果我们把 “钱是最重要的 “这一传统“观点”改为 “创造的快乐是最重要的 “这一新“观点”,
会发生什么?
例如,失败会成为“创造的快乐“的必要调料。
“无用“可能是一种延伸,只是因为他们还没有利用他们的“创造能力“。
如果我们只是改变我们看待事物的方式,
我们面前的世界将完全改变。
この地球に暮らすだれもが、「つくる喜び」を安心して楽しめる社会。
それを実現するのに十分な食料とエネルギーをつくり出す知恵を、人類はすでに持っています。
なのに、どうしてそうならないのでしょう?
それは、システムが「物語」を操作しているからではないでしょうか。
特に、「この世界は不足し、奪い合うしかない」とする物語。
その結果、人と人の信頼関係は分断され、ますます不安が拡大。
不安定な自然よりも、機械的だけど安定したシステムに依存するようになります。
システムは、さまざまなメディアを通じて、
刷り込む物語を操作することで、わたしたちを支配しているのです。
一个让生活在这个地球上的每个人都能安心地享受”创造的快乐“的社会。
人类已经有了生产足够食物和能源的智慧,可以使之成为现实。
那么,为什么还没有发生呢?
这是因为社会系统在操纵 “故事”。
特别是,”这个世界是稀缺的,我们必须相互取舍“的叙述。
被印上这样的故事使人们感到焦虑,即使他们已经足够富有。
为了缓解这种焦虑,人们选择垄断而不是给予,选择赢过别人而不是”创造的快乐“。
结果,人与人之间的信任断裂,不安全感日益放大。
我们变得依靠机械但稳定的社会系统,而不是不稳定的自然。
这个系统通过不同的媒体操纵它所印制的故事来控制我们。
それらも、先人たちが「大切な人に幸せになってほしい」と願いながらつくった仕組みでした。
とくに資本主義の働きによって、一部の人に巨大な富が集中し、彼らが労働から解放され、
「つくる」に熱中できたことで、人類の文明は飛躍的に発展してきました。
その結果もたらされたエネルギー革命によって、人類は凍えることがなくなり、
農業革命によって、十分な食料をつくりだせるようになりました。
ほんの100年前とくらべても、人類は劇的に豊かになりました。
にもかかわらず、わたしたちの「ものの見方」は、
いまだに「不足し、奪い合うしかない世界」を前提としたまま。
だからこそ、わたしたちは「溢れるほど豊かで、つくるを楽しむための世界」という
新しい見方で、新しい物語を紡いでいきたいのです。
当然,传统的社会制度,如 “资本主义 “和 “民族国家 “并不邪恶。
它们也是由我们的前辈创造的,希望它们能使他们的亲人幸福。
特别是,资本主义的运作将巨大的财富集中在少数人手中,
将他们从劳动中解放出来,使他们能够全身心地投入到 “创造 “。
由此产生的能源革命使人类不至于被冻死,
而农业革命使人类能够生产足够的粮食。
与100年前相比,人类已经变得非常富有。
尽管如此,我们的 “看待事物的方式 “仍然基于一个稀缺和匮乏的世界。
这就是为什么我们希望从一个新的角度编织一个新的故事–一个充斥着丰富的世界,一个享受创造的世界。
我们想用一种新的方式来编织一个新的故事。
これまで「百姓」は、「不足し、奪い合うしかない世界」で弱者として扱われてきました。
しかし、「溢れるほど豊かで、つくるを楽しむための世界」という見方に変えると、
自らの手で衣食住をつくり出せる「百姓」は、「創造のマエストロ」へと変わります。
新しい時代の「百姓」というスタイルは、
生きるために仕方なく選ぶものではなく、
「つくる」が楽しいから選ぶものになります。
そんな新時代の百姓たちは、
生かされているという感謝とともに、雄大な自然との調和を楽しみます。
最先端のテクノロジーも、まるでナイフのように学び、扱おうとします。
先人が探究してきた科学や芸術、その最先端の問いも面白がって探究します。
巨大で複雑な社会システムも、まるでゲームのように遊び倒します。
新しい時代の「百姓」という生き方、
それは「つくる喜び」に満ち溢れた、未来の生き方です。
直到现在,”老百姓 “一直被视为 “稀缺和竞争的世界 “中的弱者。
然而,如果我们把观点改为 “一个充溢着丰富的世界,一个可以享受创造的世界“,
能够用自己的双手生产自己的食物、衣服和住所的 “老百姓 “被转变为 “创造的大师”。
新时代的”新百姓“是一种风格。
这不是为了生存而选择去做的事情。
这是一个选择,因为”创造“的过程很有趣。
”新百姓“享受着与雄伟的大自然的和谐,以及对活着的感激之情。
”新百姓“像刀子一样学习和使用尖端技术。
”新百姓“有趣地探索了前辈们所探索的科学和艺术,以及他们的前沿问题。
”新百姓“把巨大、复杂的社会系统淡化为游戏。
新时代的 “新百姓 “的生活方式。
它是未来的,充满了”创造的快乐“的生活方式。
新時代の百姓は、分け合うことで、「喜び」が大きくなることを知っています。
だから、バンドを組んだり、稲を育てたり、祭りを興したり。
誰かとともに「つくる」営みを大切にします。
また、彼らは独占に興味がありません。
なぜなら、必要なものは、自分の手でつくり出せるから。
そんな新時代の百姓の前では、現在の私有財産を前提にした資本主義も生まれ変わります。
能力主義の教育システムや、国民国家という統治のシステムすら、その役目を終えるのです。
絵空事でしょうか? いいえ、違います。
山奥の田んぼで、リノベされた喫茶店で、アーティストのアトリエで、起業家のラボで。
この地球に生まれるだれもが「つくる喜び」に満たされた日々を送る。
2022年11月24日 『新百姓』編集長
新时代的”新百姓“知道,他们分享的越多,他们的 “快乐 “就越大。
这就是为什么他们组建乐队、种植水稻和组织节日的原因。
他们重视与他人一起 “创造 “的活动。
他们对垄断也不感兴趣。
因为他们可以用自己的双手创造他们需要的东西。
面对这样的”新百姓“,目前以私有财产为基础的资本主义将得重生。
甚至基于能力的教育体系和民族国家的治理体系也将结束它们的作用。
这是梦想吗?不,它不是。
在大山深处的稻田里,在翻新的咖啡店里,在艺术家的工作室里,在企业家的实验室里。
这样的未来已经在这里和那里出现。
这一切都始于我们决定重视”创造的快乐“。
每一个出生在这个地球上的人都会在他们的日子里充满 “创造的快乐”。
我们将成为这样的 “新百姓”。
如果可能的话,和你一起。
2022年11月24日 《新百姓》主编